2010年3月25日木曜日

いざ、卒業式

いよいよ、本日卒業式本番!

職員室で待機していたら、
女の子ふたりが恥ずかしそうに
「せんせ~。。。」とドアのスキマから呼んでいる。

「な~に?」とそばに行くと
「先生、どうもありがとう」と
折り紙で作った花束を渡してくれた。

ちょこんと頭をさげて、「どうもありがとうございました」と。

こんな可愛らしい花束をくれた^^


私のほうこそ、心の底から「ありがとう」

教え導くなんてことは、とうていできない私でしたが
楽しく遊ぶことはできたと自負しています。
(それでいいのかい?というツッコミがありそうですが^^;)


彼女らは、校長先生にも手渡しした。
そして、校長先生は式典の間、
モーニングにこの折り紙の花束を胸に飾っていた。
ステキでしょ^^


卒業式は、それはそれは感動的なものでした。

よくある「呼びかけ」
子供たちが6年間の思い出などを、セリフで表現していくものですが、
練習の甲斐あって、とても順調に進んでいました。

しかし、あるところで
シ~~~~~~~~ンと静まり返ってしまったのです。

「次のセリフは、どうしたの!?」
先生や、来賓の方、保護者の方が
あせりだしたころ突然始まりました。

子供自身が考えたセリフ。
担任の先生や他の先生への気持ちのこもった言葉。

泣かせるじゃん!

えぇえぇ、思いっきり泣かされましたよ!
あなた達の思惑通りにね。

我が子の卒業式では、感動はしたものの泣くなんてことはなかった。
ここまで成長してくれた、させていただいたと感謝の気持ちは抱いても
涙が流れることはなかった。

しかし今日は、ハラハラと、
気がつかない間に、頬に生暖かい涙が流れた。

この場にいることができて、ほんとによかった。

2010年3月24日水曜日

卒業式イブ

いよいよ、明日は職場である小学校の卒業式。

6年生と過ごすことの多かったこの一年。
私としては、初めて卒業生を送り出すという体験をします。

過去、息子の卒業式では感動はしたものの、
寂しさは感じたことが無かった。

だって、息子は卒業しても毎日会えるものね。

でも、クラスの子供たちとはもう偶然でしか会えない。。。

6年1組・・・このクラスはほんとに元気がよくて楽しくて。
子供たちとは2世代も違う私も、ほんとに毎日楽しく過ごさせてもらえました。

なんにでも一所懸命、ノリがよくて、団結力があって。

今日は、帰りの会でいきなり
担任の先生に花束と心を込めたカードの束を渡していた。
先生の瞳には、懸命にがまんしていたけど、
涙があふれていたよ^^

そういうニクイ事をやっちゃう彼ら彼女らなのだ。

2010年3月20日土曜日

ミラクル・みらくる!

なんだかこの頃、とってもミラクル続きなんです。

どうしてか・・・理由はわかっているんです。
1月に長崎に旅行に行ってきました。
そこでの、ある人との出会い。
そこから始まった、ミラクル!

な~んて、これだけじゃわかってもらえないよね^^;

近く「ゆーりの休日」に詳細をレポしますので、
どうぞ読んでやってくださいね♪

今日は銀座で息子とその婚約者さんと、3人でお食事^^
とっても落ち着いた和食屋さんを予約しておいてくれて、
とても楽しい時間を過ごしました。

日月火という和食処

店内に池があって、水のせせらぐ音が
とてもステキなお店でした。
もちろん、味も最高でした。

昼間なのに、ビールを飲んじゃって、
う~~~ん、最高の贅沢です!

ミラクルその1!
そのあと、『プランタン』に行ったら、
なんと同じ学校のセンセに遭遇!

「ありえな~~~い!!」と興奮!
だってこの広い東京で、同じ場所で同じ時間だよ。

ミラクルその2!
ぼ~っといつものように歩いていたら
とあるタレント事務所にスカウトされちゃったよ!

「明るい主婦の方を探しているんですよ」
そんな言葉に
(私は悪いやつには、ゼッタイ引っかからないゾ)と
内心警戒しながら、正直ちょっと良い気分、へへ^^

まぁとりあえず、気分はウキウキなのだ。

春ですね^^

2010年3月17日水曜日

自分の存在に感謝。

重々しいタイトルですが。

6年生の最後の授業ということで、

終戦当時の実録のビデオを観せてくれた。

満州からの引き上げ者と、シベリア収容所でのようす。

満州からどうやって逃げ出してきたか、
叔父は、これまでもたんたんと話して聞かせてくれていた。

しかし、これほど過酷な状況だったとは、今まで感じ取れなかった。

叔父は感情を込めて話すことを、あえてしなかったのだろうと
恥ずかしながら、今日初めて気がついた。

戦争の悲惨さ、平和の大事さ。
頭の理性の部分では、ちゃんとわかっているつもりだった。
しかし、ぜんぜん心で受け止めていたわけではなかったのを実感した。

~1945年(昭和20年)8月、
第二次世界大戦終結直前にソ連軍が満洲に侵攻、満洲国は崩壊した~

当時8歳だった私の母。

その父母と、兄と妹2人、合計6人で住んでいた。

ある日、ソ連軍が攻めて来るという噂が広まった。

着のみ着のまま、とりあえずのものだけ持って家を出た。
誰もが、一時避難するだけと思って、家を出た。

しかし、家に二度と戻ることはできなかった。

いくばくかの財産、家財、いろいろな思い出。

それらを全部置き去りにしたまま、
遠い遠い日本へ向かって歩き出したそうだ。

私の祖父である一家の父親は、
そのままシベリアの収容所に送られてしまった。

30代の祖母と、小学生の叔父・母・その妹にあたる叔母・幼児の叔母。
5人は、相当な寒さの中、食べるものも寝るところも無い状態でだったという。

信じられないほど冷える夜、汽車の陰にかくれ
線路の上で寝たという。

その道程の途中、幼児だった叔母は亡くなってしまった。。。

いつ襲われるかわからない恐怖感と、ひもじさと、
本当に大変な思いをして大連港に向かい、
必死な思いで船に乗り、ようやく日本に帰ってきたそうだ。

・・・これまで、何度か叔父からこの話を聞いていた。

しかし、今日この映像を観て、
まったく実感していなかったことに気がついた。

今の私よりはるかに若い祖母が、
子供4人を連れて、食べ物もない寒さの中歩き続けた。

必死に守ってくれたからこそ、後に私という存在が生まれたのだ。



こんな言葉しか思い浮かびませんが・・・

よく耐えてくださいました。
本当にありがとうございました。

2010年3月13日土曜日

アロマコーディネーター講座

本日から、アロマコーディネーターの講座に通い始めました。


以前から、自己流のアロマを楽しんでいたものの、
これでいいのかな?という思いや、
もっと知りたいという欲求にかられて、
横浜まで通うことにしました。

先生は、H子さんといいまして、
とても穏やかで聡明な印象の女性です。

以前から、知っていた方でしたが、
そばにいるととても癒され、かつ元気になれる。
そんなとても素敵な方です。

この方にいつかアロマを習いたいと常々思っていましたら、
ふいにその夢がかないました。

第一日目は、理論や「バスソルト」「ボディシャンプー」つくり。

多種多様なアロマ精油の香りに包まれ、
それだけでも幸せ~~~なのに、
手浴で、もう、ほわゎゎゎ~~~~ん ><

手を浸しているだけなのに、
体全体がほっこりしてくる^^

帰宅して、作った「バスソルト」で」入浴する。
香りが体だけでなく、心にも浸み込む。

「ボディシャンプー」で体を洗う。
びっくりするほどの、しっとり感。

とても幸せなバスタイムを満喫した。



自分でも、時々疲れたなぁ。。。と思う。
私のまわりにも、疲れている人がいる。

自分も含め、そういう人たちに
少しでも癒しの時間を味わってもらえたら。。。


10月には、試験があります。
それに、絶対うかってみせる!

そして、そのあかつきには、
みんなを元気にしてあげたい!!!

ここに宣言しま~す!

2010年3月12日金曜日

驚いて、そして嬉しかったこと

学校の仕事から帰り、
ポストを覗いたら、小荷物が。

「なにかな?」
差出人を見ると、とある知人の名前。

わけあって、連絡を取らずじまいのこの6年。

なにかの拍子に、ふとこの人のことを思っていた。


「元気だろうか、ちゃんと幸せに暮らしているかな?」

私より6歳下の彼女のことを、考えることがあった。


その彼女から、突然の小荷物なのだ!

部屋に入るなり、開けた。

そうしたら、鎌倉名産のお菓子とコーヒー豆。

そして小さなカード。


「突然でびっくりなさったかも。
(略)
ご迷惑だったら、ごめんなさい」と書いてある。

心底嬉しかったです。

まさか、彼女の方から連絡をくれるなんて
思ってもいなかったから。

彼女とは、心の深いところで
つながっている感じがしていました。

でも、深い話はできずに疎遠になっていたのです。

今月末、会うことになりました。

この何年間かの溝を埋めるために
お互いが饒舌になるでしょう。

楽しみです。

2010年3月11日木曜日

母の命日

たまたま、先日の日記で母のことを書きましたが、
今日、3月11日は母の命日です


花を活けました。





平成3年3月11日
母はガンで亡くなりました。

妹と交互に、病院に泊りがけで看病していて、
私はその瞬間を看取る事ができませんでした。

妹にたったひとりで見送らせたことに、
申し訳ない気持ちと、どうして私のときにという気持ちと。

とても複雑な胸中でした。

でも、亡くなるその日の夕方。。。
なんとなく「予感」がしていました。

いつもなら妹と交代したら、すぐに帰宅するのですが、
なんとなく母のベッドのそばに居続けました。

しかし、自分の子と妹の子供の世話もしなければならず
後ろ髪をひかれる思いで帰宅しました。

子供たちに夕食を食べさせている時に、妹から悲痛な声の電話がありました。

「おねえちゃん、おかあさんが・・・」
すぐ察知して、病院に向いました。

しかし、間に合わず・・・
母は、すでに息を引き取っていました。

母には、自身がガンだということは、最後まで秘密にしていました。

現在では、「告知」は当たり前ですが、
20年ちかく前は、告知するかしないか、
医者と家族の間で話し合いがなされました。
ガンは、まだまだ不治の病でした。

ガンの痛みを「骨粗しょう症」だという
医者の言葉を信じていた母。

なので、いろいろ民間療法を試みていました。

そんな母を見ているのが、つらかったです。。。

今でも耳に残る言葉があります。


「こんなはずじゃない!」

母は、亡くなってしまうその日、
昏睡の中、ふと目をさましてそう言いました。

病室の天井をにらんで、そう言いました。



その時の母の、表情は一生忘れられません。。。

2010年3月7日日曜日

食堂かたつむり

土曜日、映画を観てきました。

柴崎コウ主演の「食堂かたつむり」

ホントは、「ライアーゲーム」を観たかったんだけど
満員御礼でチケットを買えず・・・^^;

それでは・・・と観た映画だったんだけど。



これが、すごく良かったのです!

「不倫のりんこ」と呼ばれたりんこ。
恋人に裏切られ、話すことができなくなった。

お金に困って、母の元に帰る。
しかしその母がクセモノで、反発するりんこだが、
実家の物置を使って、「かたつむり食堂」を始める。

りんこの料理を口にした人は、なぜか幸せになっていく。


映画の途中から、ほろほろと涙が止まらなくなった私なのです。
理由は、3つあります。


私もりんこと同じように、私の元に訪れてくれる人を
幸せな気分にさせてあげたいと常々思っていました。

その手段は、パワーストーンであったり、アロマであったり、
スキンケアやメイクアップであったり。
ちょうど、自宅を「おうちサロン風」に改装していたところでした。


そしてもうひとつは、りんこの母の結婚式のシーンです

なんだかとても胸がきゅ~んとしてしまいました。

婿役の三浦友和のやさしい包容力のある笑顔が、すごくいいなって。
その隣にいる、花嫁のとてもかわいい笑顔が最高で♪

こんな風に、いくつになってもかわいい花嫁さんでいられるような
そんな女性になりたいな・・・って。


そして、りんこの母がガンで亡くなってしまうこと。
私の母もガンが再発して、半年で逝ってしまいました。

りんこの母がりんこに、「あなたのことが大切だったよ」という意味のセリフを言います。

私は母子家庭でしたので、とても寂しい子供時代を過ごしたのですが
私の母もそう思ってくれたのかなぁ・・・と、
思いをはせて切なくなってしまったのです。

あと2年で、母の享年と同じになります。


もう19年たつのですね。







                                おかあさん。

2010年3月4日木曜日

Fちゃんへ

今日はお友達のFちゃんと「ガスト」でごはん^^

8日前にも会ったのに、よくまぁおしゃべりすることがあるもんだ!

Fちゃんと知り合って、もう30年になるんだなぁ・・・
世の中のテンポと合わないふたり。
でもふたりのテンポは合うのです^^

そんなFちゃんのお誕生日を迎えて、
天然石のブレスレットをプレゼント♪









オニキスとヘタマイト。
強すぎる石をムーンストーンで緩和。
ポイントは、オニキスのクロスと水晶のハート。

自分を強くしたいと思う時に、身につけるといいと思います。
しかしその反面、「弱気なときには体が負けてしまう事もあるので
注意してね」とそう伝えました。

「ガスト」のチーズ入りハンバーグは、値段以上の美味しさでした^^v

2010年3月2日火曜日

今日のそよ

キッチンのソファで寝ている「そよ」
私の姿を見たとたん、このポーズ。



ん~~~何の意味があるんだろう。




カオは怖いけど、甘えてるのかな?